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常福寺の歴史について

檀家の皆様や新しく御来山される皆様へ常福寺の歴史を知っていただき、身近に感じていただければとの想いから、開山から現在に至るまでの年史を掲載することといたしました。焼失してしまった資料もあり、現在から遡って判る範囲での記載となりますため、内容に誤りがある可能性もございます。何卒ご了承いただけますと幸いです。

年表

1255年

(建長七年・己卯)

高野山清浄心院の僧である觀空法師により式部城址傍に開山。
觀空法師が入定された後は、世人成佛山と称される。

1510年

(永正七年・庚午)

大地震による山嶽崩落により、堂塔が壊滅。

1596年

(慶長一年・丙申)

熊野堂、熊野社傍にて、再建。

1625年

(寛永二年・乙牛)

本堂、山門、鐘楼、経蔵、末寺二寺が焼失。

1683年

(天和三年・癸亥)

当時の僧である澄尊により、大日山閼伽寺(春岳法印)を末寺とする。
 その後、西温井(抜井)の末寺宝温寺へ移る。

1702年

(元禄十四年・壬午)

本堂再建。

1742年

(寛保二年・壬戌)

寿房入沢、山崩。

年号不明

その後、現在地(城物)へ移転。

1780年

(安永九年・庚子)

当時の僧である澄園により半鐘鋳造。

1850年

(嘉永三年・庚戌)

四十三世 秀任にて、梵鐘勧進帳が作成される。

1852年

(嘉永五年・壬子)

四十三世 秀任により、梵鐘図面が完成。

1865年

(元治二年・乙丑)

四十四世 秀運により、梵鐘最鋳。

1942年

(昭和十七年)

四十八世 小林深照より、梵・半鐘供出

1999年

(平成十一年)

四十九世 窪田俊朝 遷化

2005年

(平成十七年)

五十世(現住職) 窪田範俊により、梵・半鐘再鋳

2006年

(平成十八年)

五十世 窪田範俊が普山